他人の目をあきらめる(人は自分を気にしていない)
ぺん子「仕事終わったけど、みんな働いてるからまだ残ってた方がいいかな!」
ぺんぺけ「終わったから帰るぺけ〜!」
ぺん子「ちょっと、みんな働いているのに、そんな堂々と…」
ぺんぺけ「今日は何食べるぺけかな〜!!」
今日は他人の目をあきらめる、という考え方を紹介します。
他人に悪くみられるより、よく見られたい。
いい人だと思われたい。
多かれ少なかれ、人にはそのような欲があります。
そのために、頼まれたことを限界を超えて引き受けたり、
自分の気持ちと反対に、優しい言葉をかけたり、
平気なふりをしたり、意に反することをする人もいます。
でもそれは、自分に嘘をつくことでもあります。
本当は苦しいと言っているのに他人の目を気にしすぎると、
大切なことを見失いかねません。
そこで、役に立つのが”他人の目をあきらめる”
という考え方です。
実は、他人はあなたが思うほどあなたのことを見ていません。
ちょっと思い出してみてください。
あなたがお友達と写真を撮りました。
デジカメで画像をチェックします。
真っ先に目が行くのは友達?自分?
もちろん自分ですよね。
友達の写真写りが悪くても気にしないはずです。
でも自分の写真写りが悪いと、
なんとも気分が悪くなってしまいます。
よく写るのにこしたことはないですが、
他の人のことはあまり気にならないですよね。
また、時に他人はあなたがうれしい時であろうと、
悲しみに打ちひしがれている時であろうと、
土足であなたの心に入り込むかのように、
好き勝手に言うものです。
その程度のものなのだと、他人の目をあきらめる。
あきらめるとは、悟ってやめることです。
全ての人にいい人だと思われるのは誰にもできません。
自分がすり減るばかりです。
あなたが期待に応えようとしている人は、
いざというとき助けてくれる人ですか?
あなたがピンチになった時、クモの子を散らすように
逃げていく人の期待に、必死になっていませんか。
自分の人生を生きていますか。
「他人の目を気にする」というのは、
他人の価値観で生きるということです。
「私は周りの人と同じようになりたいかなあ。」
と改めて考えてみるのは大切です。
自分がやりたいことをやって、
結果として「いい人だ」とついてくるのはいいのです。
でも、それが逆になってしまったら本末転倒です。
マザーテレサ。彼女は押しも押されぬいい人の代表格です。
でも、彼女のモチベーションは「他人によく思われたい」
ではありませんでした。
最初から、他人の目をあきらめる。そう決めていました。
そうでなければ、あのように大きなことはできません。
彼女のモチベーションは、イエスキリストだったのです。
彼女はイエスキリストから霊感を受けていたと、
書簡集に書いてあります。
彼女が行動をためらっていた際に、イエスの霊感が
このように語りかけたそうです。
「私のかわいいパートナー。私のために動いてくれないのか」
マザーはイエスが大好き。こんなこと言われたら、
動かないわけにはいかないでしょう。
あなたが大好きな人のために行動するとき
100%以上の能力が発揮されるのです。
それが、周りの人を励ますのです。
他人の目を気にするなんて、ナンセンスです。
一度きりの人生です。
自分の成長のため。
大切な人のために
他人の目をあきらめることです。
人の目から解放された時に、あなたの人生は楽になります。
人生が楽になるとプラスの思考が巡ってきて、
「人生楽しく」幸せになります。
他人の目に左右されない。
これが、幸せの第一歩かもしれません。
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ぺん子「人目を気にするのって余分なエネルギーをいっぱい使ってしまいそうだね。」
ぺんぺけ「明日も早く帰ってご飯食べに行くぺけけ〜」
ぺん子「ぺんぺけほど無神経なのも考えものな気もするけどね。」
は王「空気を読むことも大事だが、それと人目を気にするのは全く持って違う話。過剰に人目を気にしていると、本来自分がやりたいことも出来なくなり、自分が望む人生とは程遠いものになる。自分の人生は自分が主役なので、自分を殺すことが楽に生きられると、勘違いをしないようにすることだな。」
ぺんぺけ「終わったから帰るぺけ〜!」
ぺん子「ちょっと、みんな働いているのに、そんな堂々と…」
ぺんぺけ「今日は何食べるぺけかな〜!!」
なんのために人目を気にするのか。。。
今日は他人の目をあきらめる、という考え方を紹介します。
他人に悪くみられるより、よく見られたい。
いい人だと思われたい。
多かれ少なかれ、人にはそのような欲があります。
そのために、頼まれたことを限界を超えて引き受けたり、
自分の気持ちと反対に、優しい言葉をかけたり、
平気なふりをしたり、意に反することをする人もいます。
でもそれは、自分に嘘をつくことでもあります。
本当は苦しいと言っているのに他人の目を気にしすぎると、
大切なことを見失いかねません。
そこで、役に立つのが”他人の目をあきらめる”
という考え方です。
実は、他人はあなたが思うほどあなたのことを見ていません。
ちょっと思い出してみてください。
あなたがお友達と写真を撮りました。
デジカメで画像をチェックします。
真っ先に目が行くのは友達?自分?
もちろん自分ですよね。
友達の写真写りが悪くても気にしないはずです。
でも自分の写真写りが悪いと、
なんとも気分が悪くなってしまいます。
よく写るのにこしたことはないですが、
他の人のことはあまり気にならないですよね。
また、時に他人はあなたがうれしい時であろうと、
悲しみに打ちひしがれている時であろうと、
土足であなたの心に入り込むかのように、
好き勝手に言うものです。
その程度のものなのだと、他人の目をあきらめる。
あきらめるとは、悟ってやめることです。
全ての人にいい人だと思われるのは誰にもできません。
自分がすり減るばかりです。
あなたが期待に応えようとしている人は、
いざというとき助けてくれる人ですか?
あなたがピンチになった時、クモの子を散らすように
逃げていく人の期待に、必死になっていませんか。
自分の人生を生きていますか。
「他人の目を気にする」というのは、
他人の価値観で生きるということです。
「私は周りの人と同じようになりたいかなあ。」
と改めて考えてみるのは大切です。
自分がやりたいことをやって、
結果として「いい人だ」とついてくるのはいいのです。
でも、それが逆になってしまったら本末転倒です。
マザーテレサ。彼女は押しも押されぬいい人の代表格です。
でも、彼女のモチベーションは「他人によく思われたい」
ではありませんでした。
最初から、他人の目をあきらめる。そう決めていました。
そうでなければ、あのように大きなことはできません。
彼女のモチベーションは、イエスキリストだったのです。
彼女はイエスキリストから霊感を受けていたと、
書簡集に書いてあります。
彼女が行動をためらっていた際に、イエスの霊感が
このように語りかけたそうです。
「私のかわいいパートナー。私のために動いてくれないのか」
マザーはイエスが大好き。こんなこと言われたら、
動かないわけにはいかないでしょう。
あなたが大好きな人のために行動するとき
100%以上の能力が発揮されるのです。
それが、周りの人を励ますのです。
他人の目を気にするなんて、ナンセンスです。
一度きりの人生です。
自分の成長のため。
大切な人のために
他人の目をあきらめることです。
人の目から解放された時に、あなたの人生は楽になります。
人生が楽になるとプラスの思考が巡ってきて、
「人生楽しく」幸せになります。
他人の目に左右されない。
これが、幸せの第一歩かもしれません。
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ぺん子「人目を気にするのって余分なエネルギーをいっぱい使ってしまいそうだね。」
ぺんぺけ「明日も早く帰ってご飯食べに行くぺけけ〜」
ぺん子「ぺんぺけほど無神経なのも考えものな気もするけどね。」
は王「空気を読むことも大事だが、それと人目を気にするのは全く持って違う話。過剰に人目を気にしていると、本来自分がやりたいことも出来なくなり、自分が望む人生とは程遠いものになる。自分の人生は自分が主役なので、自分を殺すことが楽に生きられると、勘違いをしないようにすることだな。」
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