いい人をやめる(ストレスを抱えると意味がない)
ぺん子「人の為になるように生きてきたけど、最近なんだか疲れてきたわ。」
ぺんぺけ「いい人をやめるぺけ〜」
ぺん子「私っていい人なのかしら…」
以前の私は
「生きている限り、人にいいことをしよう。天に徳を積むんだ。」
などと思っていました。
お坊さんが書いたそういうたぐいの本も読んでいました。
人と会ったら笑顔で、はきはきとあいさつしていました。
ごみが落ちていたら拾って、ごみ箱に捨てていました。
地球をきれいにしようと思って、通勤途中や犬の散歩のついでに
ゴミ拾いをしたりしていました。いつも笑顔を心がけました。
相談事を聞いてあげて、自分がしたいことができなくなっても
「人から感謝されることはいいことだよね…」と思っていました。
いわゆるいい人でした。
そんなことを続けていたら…疲れました。
その上、自分と同じようにしない人を心の中で責めるように
なってしまいました。
「朝はできるだけ、大きな声で、気持ちよくあいさつするべきじゃない?」
「みんな、地球をきれいにしようって、思わないのかしら?」
「あの人はいつも楽ばかりしている気がする。」
「道端にごみを捨てる人は悪い人だ。」
自分だけが正義だと思うようになってしまったのです。
人を責めると疲れます。
かといって、ルールを破っている人を見ると腹が立ちます。
でも、そういう人の方が案外気楽に生きているようにも見えます。
それがいつしか気にならなくなったのは、人は一人ひとり、
自分が「正しい」と思うルールブックを持っていて、
それに従って人は行動していることに気が付いたからです。
考えてみれば当たり前のことです。
全ての人が同じように育てられたのではないのですから、
様々な価値観があって当たり前なのです。
ある人からこう言われたことがあります。
「あなたの言いたいことはわかるけど、それを
人にまで強制するのはやめて。それが嫌ならあなたとは
もう付き合わない。もっと、自由に生きてみたら?」
それ以来、ごみを拾っていた習慣をやめ、
お釣りを募金することをやめ、
笑顔であいさつすることもやめました。
いわゆるいい人をやめました。
心からそうしたいと思った時だけすることにしました。
すると、毎日が楽になりました。
誰も私のことを責めたりしません。
「私がいわゆる、いい人、の振る舞いをしてもしなくても
世の中そんなに変わらないんだ。」そんなことに気が付きました。
「今まで自分がしていたことは、『自分はいい人』という実感を
持ちたかっただけなのかもしれない。」そう思うようになりました。
ストレスだらけの「いい人」の道を行くのか
ストレスの少ない「自分にちょうどいい」道を行くのか
どちらに行ってもいいのですが…
いい人でいることに疲れてしまった時は、もっと自分らしく
生きたい、という心からのメッセージなのかもしれません。
辛いのであれば、いい人をやめることもしていきましょう。
心の底から自然としたいと思う生き方が出来れば、
もっと幸せな人生を歩めるでしょう。
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ぺん子「いい人をやめて、まずはストレスをためないような生き方をしよっと!」
ぺんぺけ「おいしいものを好きなだけ食べたらストレスたまらないぺけ〜」
ぺん子「ダイエットする気はさらさらないのね…」
は王「いい人を続けていても自分が疲れるだけでなく、人をも疲れさせてしまうことがある。そうなるくらいならいい人をやめることだな。普段から善を心がけていれば、自然とそういった行いが出来るようになるので、無理せずに人の為になる行動ができるようになれば、ベストだろうな。」
ぺんぺけ「いい人をやめるぺけ〜」
ぺん子「私っていい人なのかしら…」
心の底からしたいと思ういい行い。。。
以前の私は
「生きている限り、人にいいことをしよう。天に徳を積むんだ。」
などと思っていました。
お坊さんが書いたそういうたぐいの本も読んでいました。
人と会ったら笑顔で、はきはきとあいさつしていました。
ごみが落ちていたら拾って、ごみ箱に捨てていました。
地球をきれいにしようと思って、通勤途中や犬の散歩のついでに
ゴミ拾いをしたりしていました。いつも笑顔を心がけました。
相談事を聞いてあげて、自分がしたいことができなくなっても
「人から感謝されることはいいことだよね…」と思っていました。
いわゆるいい人でした。
そんなことを続けていたら…疲れました。
その上、自分と同じようにしない人を心の中で責めるように
なってしまいました。
「朝はできるだけ、大きな声で、気持ちよくあいさつするべきじゃない?」
「みんな、地球をきれいにしようって、思わないのかしら?」
「あの人はいつも楽ばかりしている気がする。」
「道端にごみを捨てる人は悪い人だ。」
自分だけが正義だと思うようになってしまったのです。
人を責めると疲れます。
かといって、ルールを破っている人を見ると腹が立ちます。
でも、そういう人の方が案外気楽に生きているようにも見えます。
それがいつしか気にならなくなったのは、人は一人ひとり、
自分が「正しい」と思うルールブックを持っていて、
それに従って人は行動していることに気が付いたからです。
考えてみれば当たり前のことです。
全ての人が同じように育てられたのではないのですから、
様々な価値観があって当たり前なのです。
ある人からこう言われたことがあります。
「あなたの言いたいことはわかるけど、それを
人にまで強制するのはやめて。それが嫌ならあなたとは
もう付き合わない。もっと、自由に生きてみたら?」
それ以来、ごみを拾っていた習慣をやめ、
お釣りを募金することをやめ、
笑顔であいさつすることもやめました。
いわゆるいい人をやめました。
心からそうしたいと思った時だけすることにしました。
すると、毎日が楽になりました。
誰も私のことを責めたりしません。
「私がいわゆる、いい人、の振る舞いをしてもしなくても
世の中そんなに変わらないんだ。」そんなことに気が付きました。
「今まで自分がしていたことは、『自分はいい人』という実感を
持ちたかっただけなのかもしれない。」そう思うようになりました。
ストレスだらけの「いい人」の道を行くのか
ストレスの少ない「自分にちょうどいい」道を行くのか
どちらに行ってもいいのですが…
いい人でいることに疲れてしまった時は、もっと自分らしく
生きたい、という心からのメッセージなのかもしれません。
辛いのであれば、いい人をやめることもしていきましょう。
心の底から自然としたいと思う生き方が出来れば、
もっと幸せな人生を歩めるでしょう。
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ぺん子「いい人をやめて、まずはストレスをためないような生き方をしよっと!」
ぺんぺけ「おいしいものを好きなだけ食べたらストレスたまらないぺけ〜」
ぺん子「ダイエットする気はさらさらないのね…」
は王「いい人を続けていても自分が疲れるだけでなく、人をも疲れさせてしまうことがある。そうなるくらいならいい人をやめることだな。普段から善を心がけていれば、自然とそういった行いが出来るようになるので、無理せずに人の為になる行動ができるようになれば、ベストだろうな。」
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