生きるのが辛い・しんどい・疲れた時 生きるのがしんどい

人生とは何なのか(我が道を進むのです)

ぺんぺけ「みんななんだか会社で暗い雰囲気みたいだけど、今日は焼き肉バイキングがあるから帰るぺけ〜」

ぺん子「なんか売上悪いから、改善の提案を出しているみたいだよ!」

ぺんぺけ「ぺけ〜だぺけ〜!そんなの経営陣がしっかりしないといけないぺけ〜」

ぺん子「本当に飛んで行ってしまったよ…」





あなたの意見を、考えを、そして信念を強く、そして強く強く貫くのです。。。


人生とは何か。
これは必ず一度は考えることになる
命題であったりします。

いきなりですが、
そもそも人生に意味はありません。

もっと分かりやすく申し上げますと、
ただただ生まれて、そして、
ただただ死んで行くのです。

これは万物に共通する原則なのです。

そこに理屈もありません。
生まれては死んでいく。

それを循環と言うのです。

これを突き止めても、哲学に求めても、
ただ深い闇に紛れこむことになりかねません。

ここで、少しだけ視点について触れて見ます。

視点は上にいけばいく程、
客観的に見渡せるようになってきます。

自分が平社員であれば、課長の立場からみると
管理の難しさを知ることになるでしょう。

課長の立場なら、部長よりも経営陣、取締役連中を
見るとよいでしょう。

会社を巣窟にしている連中は論外ですが、
まっとうなら、数字をおっかけてはそれだけを
やりくりしていることでしょう。

それぞれの視点で、現場、管理、経営と
別れていきます。

一般的にはこれが通常触れることのできる視点の
位置となってきます。

もちろん一般的に触れる事ができるだけで、
実際はその立場にならないと分からないことは
多々あります。

それでは、一般に触れる事のない視点はどうでしょうか。

トップクラスの社長も経営を重んじるので、
たとえば総理とかどうでしょうか。

大統領はどうでしょうか。

ここまで行くと各国を掌握出来る段階になってきます。

一般の視点では、おそらく、

批判しかほとんど出来ない位置になっているでしょう。

人は分からないと批判します。

それで、自分やまわりとの調和を図るのです。

しかし、そのこと自体に全く意味はりません。
総理や大統領などかけ離れた世界なのです。

分からないものは批判してみることしかできないときがあります。

やっぱりそれでは視点の限界を感じてしまうのです…

所詮は国レベルの視点と考えてみましょう。

私が今回の記事でもっとも言いたかったのは
そこの視点ではなく、

世界を見る視点、宇宙を見る視点なのです。

どちらも広さをひらげたものに感じますが、
日本の視点と、世界の視点も次元的には
それほど違いはありません。

そこには科学で証明できる範囲のものになってきます。
そして、そこを超えたものは…

そんなにひっぱらなくても、それは宇宙の視点になります。

宇宙の視点はリンク先に詳しく書いてありますので、割愛しますが、
そもそも要約すると、生まれてきては死ぬという工程を
ただただ歩んでいく。

その工程でどう生きていくことだけを、
出来るだけポジティブに書いているだけなのかも知れません。

宇宙の視点でみれば、全てが緩やかに感じます。
自分がちっぽけとして生きることでも、この世界に対して行動するのも
どっちも選べるようになってきます。

しかし、究極的にはそのどちらも同じ行動。

変わらない考えなのです

どっちもこの世界に生かされて、行動しているだけかも知れません。

地域を超え、日本、世界、宇宙…

ここで大体の視点が終了してしまうことになる場合が多いです。

宇宙の視点はさまざまな見解がありますが、この視点の
上はおそらく存在しないかもしれません。

とは言え、宇宙は広大です。

その視点を終点にしては、難しい言葉で言いますと、光と時間の関係
相対性理論での物事しか見れないかもしれません。

そのなかでも、別次元で生きている方は存在しています。

たとえば、ガンジーやマザーテレサはどうでしょう。

彼ら、彼女らはもう宇宙の視点を超えた
をもっていたのかも知れません。

神はどうでしょうか。

神の存在は宇宙を卓越したものです。
また宇宙と同等でもあります。
(詳しくは神とは何者なのかをご参照ください。)

仙人はどうでしょうか。

仙人は人でありながら、驚異的な能力を持った存在であります。
そこは宇宙と同レベルの視点を持って、マインドを持って
存在してきたものと思われます。そのマインド(精神)は
神や宇宙を同一視してのものとも言えると思います。

では、私はどうでしょうか。

あなたもどうでしょうか

私は、ここぞの場面では決して折れない心をもってきました。
仙人は人から愛されたかも知れません。
神は人から崇拝されたかも知れません。

私は、最終的に折れない心を持っていたのかも知れません。
それが覇王という存在なのかも知れません。

もちろん要所要所では折れる時もあります。
弱音を吐くことももちろんあります。

でも、覇王という存在は、仙人とは遠いようで近く、

究極的には孤独でも貫く精神を持っている存在なのかも知れません。

どんな形であってもいいのです。

人は一人で生まれて、一人で死んでいくのです。

だからこそ、あなたは、あなただけは。
こんなマニアックなサイトのさらに、深いマニアックなページに、
このページのここまで深くたどりつくことができたあなたは、

決して折れずに一人だけでも自分の人生を歩んで欲しいのです。
人生疲れたなんて言っておられずに、
死ぬ前まで、我が道を進むのです。

一度覇王の精神を持ってみて、屈しない生き方に
チャレンジして見てはいかでしょうか。



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ぺんぺけ「焼き肉食べ過ぎて、もう歩けないぺけ〜」

ぺん子「この雰囲気の中でも、本当に焼き肉食べに行くんだね。」

ぺんぺけ「みんな暗くなりすぎだぺけ〜」

ぺん子「ぺんぺけは根っから明るいから、あんま基準にならないわね。」

は王「世界の視点、宇宙の視点。それとは別に存在する、仙人の視点、覇王の視点。どの視点も日常ではかけ離れているかもしれないが、たどりつく所はやっぱり1つかもしれないな。人は生まれて、そして死んでいく。その世界で思いつめても、また輪廻でどこかの世界に戻ってくるもの。深く考えてもいいが、最終的には開き直って楽観的に生きていきたいものだな。」



 

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